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黒十字【5】


第四章・幻の必然性

アーニレグ山は険しく、それでもなんとか道と呼べるような場所を進みながら、
ハロルドは胸の内で思いを巡らせる。
――私もね…自分に嘘ついちゃったことあるのよ。
正しいと言い聞かせたはずなのに、その言葉には未練が残っていた。

「あぁ、そういえば」
思い出したように呟き、足を止める。
「やっぱ兄貴って死んだことになってるのね。」
ハロルドは振り返り、リオを抱えたジューダスの腕が強張るのを見逃さずに再び
口を開く。
「別にあんたの言葉を信じなかったわけじゃないわよ。」
空を仰ぎ、ハロルドは続ける。
「こうやってカイル達の世界を見てまわってると、私の時代の世界は遠いんだっ
て実感するのよ。1000年も前の世界だから当然だけど。」
白い息とともに、言葉は次々と生まれ出る。
「だから、兄貴がミクトランと刺し違えて生命活動を終えたことも遠い昔…夢み
たいに思えてきちゃって。」
あの悲しみを夢にできるはずないのに
「ハイデルベルグの図書館で調べてみたのよ…天地戦争について。」
事実が変わることなく、存在し続けるのに
「ちゃんと書いてあったわ。地上軍軍師カーレルは自身の命を犠牲にし、天上軍
の暴君ミクトランを討ち滅ぼした。こうして長きにわたる天地戦争は地上軍の勝
利により終結したのである――ってね。」
一冊で充分だった。
「でも不思議ね。私の性別は捩じれて伝わったのに、兄貴の生死は歪められるこ
となくまっすぐに伝わってるわ…ま、歴史なんてこんなもんかしらね。」
嘘で都合よく塗り固め、美しい道理に仕立て上げる。それでも僅かな隙間から真
実は覗いている。
「兄貴の死は…もう、ちゃんと受け止めてるつもり。でも…最後に何も言えな
かったことが心残りで。あんたみたいに‘ありがとう’も言えなかったから。」
――――いままで、長いあいだ、ありがとう――――
ジューダスはそう伝えて、パートナーと別れることができたけど。
「私は…兄さんと呼ぶことしかできなかった。」
一目で致命傷とわかるような深い傷を胸に負い、そこから血液が大量に溢れてい
る兄さんを目の当たりにして、私はただ泣き叫ぶことしかできなかった。

ジューダスの脳裏には暗く、懐かしささえ覚える海底洞窟が広がっていた…
――――さぁ、優しい姉さん。僕を殺せるかい?
『姉さん』と呼んだのは、あの一度きり。
彼女を苦しめるためだけに放った言葉。
今でも鮮明に残っている、言葉を失くした彼女の瞳。
「自分のことを思い、涙を流して兄さんと呼び続けてくれる妹が傍にいてくれた
のだから…カーレルはきっと、安らかに眠ることができたと思う。」
ジューダスは努めて穏やかに言った。
それと同時に、彼女にはもう叶わないのだということを知った。
今なら本意で、『姉さん』と呼ぶことができるだろうか。
いつか、そんな愚問を投げかけたことがあった。
もうその言葉が意味を成すことはないだろうに。
僕はもう、リオン=マグナスではないのだから…。

ハロルドは振り返り、それまで空に向けていた目をジューダスに移した。
「そっか。」
意外にもその瞳は乾いていて、平然として見えた。
「泣いてると思った?」
図星をさされ、ジューダスは答えずに顔を背ける。
「泣かないわよ。私だってもう23なんだから。」
――まだ23なのに
それは自分の中で反覆され、響き渡る。
――まだ23なのに、兄さんはもう逝ってしまった。
きっとこれから何十年と、私は生きるだろうけど
兄さんと共に時間を過ごすことはもうないのだと気づく。
――――にいちゃんが、守ってやるから――――
いつまでたっても子供扱いして、私の心配ばっかり。
大丈夫、私は独りでも生きていけるから。兄さんはもう、心配しなくていいか
ら。
「まったく、かわいい妹にこんな思いさせるなんて…ダメな兄貴ね。」
それでも、とハロルドは思う。

兄さんがいてくれて…よかった。



*あとがき*
めっちゃくちゃ遅れました!すみません…これからはまた少しずつ書いていこう
と心がけるアーサーです。
ぇーと、引き立て役だの肯定係だの散々言われてきたハロルドですが、見事ジュ
ダから主役の座を奪い取りました!おめでと~!!今回限りだけどw第四章はハ
ロルドメインです。
ハロルドは書くの面白いんですが、けっこう難しいですね~。見た目ピンピンし
てるけどけっこうディープなところ隠してるんで。何だかんだ言って大人ですね

では、次章でまたお会いしましょ~。

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