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銀色の記憶【2】

          *


 長い髪の毛を頭の高い位置で結う。すると急に気持ちが引き締まる。
 一人の幼い少女から、次期頭領という名を背負った冷酷な忍者へ。
 何回も、何回も、同じことを繰り返してきた。
 感情など、どこかに置いてきたのだ。

「すず」

 支度をする彼女の後ろから、祖父の声がした。

「今日は森に出るか?」

 彼女は「いえ」と答え、振り向いた。

「今日は忍者としての基礎を学ぼうと、書物を読むつもりです」
「そうか……。そんな時に悪いのだが、少し、頼みごとをしてもよいか?」
「頼みごと、ですか?」

 祖父はばつが悪そうに、少女の顔を見た。

「実は、……少し腰を痛めてしまった。森の奥の薬草を採ってきてもらえるか?」
「分かりました」

 彼女は頷くと、刀を手に取った。

「これも修行の一環です。それでは、行って参ります」
「うむ」

 祖父の腰をちらとも見ずに、彼女は森に出掛けた。


「これか」

 わさわさと繁るそれを彼女は見た。かがみこみ、頼まれた分量をきっちりと採取する。そしてそれを胸倉へしまい、ふと辺りを見回した。
 どこかで見た、感じがする。
 ぼんやりとぼやけた記憶の中で、彼女は確かにここを見た。

「普段は、こんな奥まで来ないはずなのに……」

 まだ日は高い。
 彼女は茂みを乗り越え、さらに奥に踏みこんでいった。


 しばらく歩くと、開けたところに出た。
 ここだけは木が切られ、日の光がさんさんと降り注いでいる。
 眩しくなるほどの、不思議な既視感。

「……あれは」

 光に包まれているのは、小さな小さな建物。
 二度と来ないと思っていた、そこ。

「なんという……」

 まさかこんなところに着くとは。嫌な場所だ。自分が敗北を喫した場所。
 帰ろう、今すぐにでも。あまり労力は払いたくないが、すぐにでも帰ろう。そう思って風を起こそうと思った瞬間、声がした。

「あれ? お客さん?」

 反射的にそちらの方を見る。右手の奥から、呑気な顔をした彼が現れた。

「ん? ……あっれぇー? もしかして、すずちゃん?」

 聞きたくない、声だった。

「うわ、久しぶり! 来てくれたの? 上がってってよ」
「来た、わけではありません」
「そんな嘘つくなよ。修行ごときで、こんな森の奥深くまで来ることないでしょ?」
「修行です。れっきとした」

 怒りに任せてぐっと背筋を伸ばしたら、胸元から薬草がはらりとこぼれる。それを見て、彼は笑った。

「なるほど、そいつを採りにきたんだ」
「…………」
「上がっていって。前も行った通り、ここには人が来ないんだよ。寂しいんだ」
「……そんなことは知りません」

 そう言い放つと、彼は髪をかき上げた。
 さらりと流れる銀色の髪の毛が、光に当たってきらめいた。

「その髪は……」

 思わず口にしてしまう。彼女は慌てて口を押さえた。

「……教えてあげるって言ったら、上がっていってくれる?」


          *


 不覚。
 忍者、ましてや里の次期頭領である自分が、ささやかな誘惑に負けるなんて。

「はい、どうぞ」

 相手が淹れるところからずっと見ていた。彼が一口飲んでから、口を付ける。

「……こんな幼くても、立派な忍者なんだなぁ」
「本当の忍ならば、こんなところで茶を啜ることもありません」
「はは、確かに」

 彼女はいつものように表情を変えず、物色するかのごとく彼を見ていた。

「やめろよな、そういう目。忍者独特の目だ」
「…………」
「俺はその目が苦手なんだよ」
「得意な人など居ません」

 彼は「そうだな」と言って、にこやかに笑う。
 こんなに笑ったり喜んだりする彼は、以前「一応忍者」だと言った。
 忍者が笑えるはずがない。喜べるわけがない。
 ――自分が藤林家、いや、忍者でなかったら、自分もこんなふうに笑えたのだろうか?
 ……また、いつもの迷い。もう封じようと決めた悩み。もう考えないことにしよう。

「さてと、……ねえ、すずちゃん」
「…………」
「この髪の色の理由、知りたいんでしょ?」
「…………」

 肯定の返事すらしない。
 彼は髪をかき上げた。

「教えてあげてもいいけどさ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょう」
「いやぁ、俺は里の方には行けないし、街とかにもあまり出ないからよく知らないんだけどさ。ちょっとした噂を聞いたんだ」

 自分も噂には疎いぞ、と思いながら、先を促すように目線を向ける。

「こういうの本人に聞くの悪いかもしんないんだけど……あ、気ぃ悪くすんなよ?」
「なんですか」

 彼はまっすぐと彼女を見て、問うた。

「藤林家の次期頭首だった銅蔵さんと、奥さんのおきよさん。……亡くなったって、本当か?」

 かあっと、胸にこみ上げるものがあった。
 この、男は……!
 何故こうも易々と傷を抉る?
 必死に修行に打ちこむことで忘れようとしていた、両親の死。
 封印しようとしていた、悲しみ。

「……なにを……」
「え? あ、ごめんな、デマだったら失礼だよな」
「なにを、お前は……」

 なんだこの気持ちは。
 怒り? 憎しみ? 悲しみ?
 こんな気持ちは、忍者にとっては不必要だ。
 不必要だ。

「そんなに怒るなよ。噂なんかに踊らされた俺が悪いんだ。ごめんな」

 そこでふと、彼の勘違いに気付く。勘違いしたままでも、悪くはない。
 しかし、彼女は渋々真実を伝えることにした。

「……いえ、デマなどではありません」
「へ?」
「わたしの両親は、死にました」
「……やっぱり、そうなんだ……」
「わたしが殺したのです」

 この手で。その言葉を飲みこんだ。
 ――ああ、ああ、今でも覚えている、あの感触。
 生ぬるい、血の匂い。

「……えっ?」
「しろがねは知っていますか、世を騒がすダオスという男の名を」
「あ、ああ、一応噂では……」
「わたしの両親は、その男に操られ、たくさんの罪なき人々を殺めました。わたしはそれを成敗したのです」

 彼は目を丸くして、口をぽかんと開けたまま、彼女を見ていた。

「心に付け入られるような隙を持っていたからこそ、たった一人の男に操られてしまうのです。藤林の恥です。忍者としても、誇ることのできない両親です」
「……自分の両親を、殺したっていうのか……?」
「はい」

 彼は髪の毛を掻き上げ、「そうか」と呟いた。
 ひどく申し訳なさそうな響きだった。

「……聞いて、悪かったな」
「お気になさらず」

 彼女は思い出してしまった悲しみを再び忘れるために、彼に向き直った。

「それでは教えてください。その髪色について」
「……君の話を聞いたあとじゃ、大した話にはならないよ」
「それでも構いません」

 彼は少し間を空けたあと、ぽつんと言った。

「これは生まれつきさ」

 その時、彼の目はきょろきょろと泳いでいたが、自分の話を聞いた動揺だろうと彼女は思った。

「元々白い色素しかないみたいでさ。だからしろがねって付けられたんだぜ? しろがねって、漢字で書くと銀っていう漢字を使うだろ」
「そういうわけですか」

 彼女は頷き、立ち上がった。

「それでは失礼します」
「え? もう行くの?」
「理由を聞いたら、帰るという約束でしたから」

 彼は悲しそうに眉を垂れた。

「もう一杯だけお茶を飲んでいくってのはどう?」
「…………」
「お願いだよ、もう一杯だけ。そしたら俺は君に一切干渉しない。そう約束する」
「……分かりました」

 彼女は渋々頷いた。嬉しそうに笑う彼。
 腰を下ろしたそこからは、彼のものと思われる防具が見えた。

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