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デミテルは今日もダメだった【49】

クレス=アルベインは、お人よしだった。

押しに弱い。とも言える。とにかく、頼まれたら断らない。

それが彼の長所でもあるし、同時に短所でもある。これにより彼自身はたくさん損をしてきたし、同時に人の信用も得た。

クレスは今の時代珍しい、素晴らしい好青年だと、誰もが思い、信じていた。悩むことを知らない、ひたむきで、真っすぐで、純粋な、まさにベストオブヒーロー。人間の鏡。

そう。人の鏡。あくまで鏡であって

『人』と見られてはいなかった。

誰も彼を『人』と思わなかった。『人』は、悩む生き物なのだ。悩まぬ『人』は、人ではない。

闇が無い人は、『人』にあらず、『人間』という名の、ただの生物の一つでしかなくなる。

みんなが彼を、『人』ではなく『鏡』『生物』と見た。

しかし、前述したように、彼は素晴らしい好青年、人だ。素晴らしい『人』なのだ。だから

彼も、悩んだことはあるのだ。それも何千回も。どこにでもいる、思春期の青年達と同じように。

そして今彼は、また人知れず悩んでいた。


彼は今日、とある大会に出場している。

『納涼駄洒落大会』。駄洒落で涼しくなろう!という、なんとも田舎臭い感じの
する催しだ。こんなもので、この砂漠の暑さをはじけるものか。と、クレスは思っていても、決して口には出さない。いつものように、愛想がいい笑顔を振り撒く。その方が楽であることを、彼は十七年の人生で学んでいる。

彼の爽やかな笑顔の七割が、作り笑顔であることなんて、誰も知らない。彼が常に何かを前提に考えて生きているなんて、誰も知らない。鈍いからといって、何も考えていないわけじゃない。

笑顔は人を幸せにする。それを知っているから、彼は笑うのだ。誰に対しても、笑顔で、優しく。

…実は一人、彼の作り笑顔に気付いた者がいる。彼の父だ。

『たまには、外でも本気で笑ったらどうだ?クレス?』
『なんのこと?父さん?』
『お前は家の中では素直に笑うのに。何故初対面の人と会った時、作り笑いをする。』
『その人が、いい人かどうか、見極めてからだよ。僕が本気で笑うのは。そうでない人に心は開きたくない。だからって、無愛想な顔をすると失礼でしょ?だから、僕は無理に笑う。』
『嫌な笑顔だ。』

父はケラケラ笑い、そして言った。

『いい人にも、悪い人にも、好きな人にも、嫌いな人にも、全ての人に、いつも笑顔で、優しくいて欲しいな。父さんは。』
『してるよ。誰に対しても僕は』
『作り物じゃない笑顔だよ。クレス。お前は優し過ぎる。』
『だがな、その優しさが正しいとは限らないんだよ。』

クレスは理解できなかった。何故、嫌いな人にまで、本気で笑うことなど出来るんだ?そんなことする必要あるのか?

どちらにしろ

自分の本気の笑顔と偽物の笑顔の違いに気付ける人間など、いはしないのだ。家族以外に。だから、こんな考察はいらないんだ。

みんな、僕の笑顔を見て、僕が素晴らしい人間だと

悩まない好青年だと、本気で信じてる。

僕だって悩むさ。いろんなこと。父さんに反抗したい衝動に駆られたこともあるし、異性に対して悩んだこともあった。自分の鈍さに、人の良さに、何度も思い悩んでる。

僕だって

僕だって

汚い人間なんだよ。

誰も、気付かない。

誰も

気付いちゃくれない………

第四十九復讐教訓「女は男に惚れる 男は男の本音に惚れる」

…………しかし、どうしたものか。


オリーブヴィレッジの、オアシスの桟橋に、奇怪な、センスが皆目的に無い仮面を被った男がいる。

デミテルだ。その、何か民族的風習をどこかで感じる奇々怪々な面のおかげで、誰も彼が指名手配の男だとは気付くまい。

その面のおかげで、鼻がかゆくなってもかけないので、この上なくイライラした顔をしていることにも、誰も気付くまい。

この暑さだ。中はかなり蒸れている。鼻先から汗が慕っている。自分の吐息が生暖かい。もう嫌だ。外したい。

しかし、外せない。何故なら、すぐそこにクレス=アルベインがいるからだ。クレスは、彼の真横に座って、オアシスを眺めていた。

何故よりによって真横か。理由は無い。なんか気付いたらそこにいたんだからしょうがない。

『駄洒落大会』開始まで、あと三十分。初戦、第一回戦の組み合わせは

クレス対デミー

いきなりである。もう少し引っ張れよ。こういうのは決勝戦であたって、感動的決戦を繰り広げるものだろーが。なんで初戦?いや、たかだか駄洒落だけれども?そこらへんはしっかり演出しようよ?

と、誰かにぶちまけたいデミテル。しかし、くじ引きだったのだからしょうがない。


とにかく、負けるわけにはいかん。こっちは生活と甘味がかかっているのだ!!なんといっても甘味だ!!菓子パン詰め合わせセッツ!!これは譲れるかッ!!菓子パンだぞ菓子パン!?菓子パンだけに飽きたらず、詰めて合わさってセッツなんだぜ!?すげーよオリーブヴィレッジ!!太っ腹だぜ!!

…いかんいかん。何一人で盛り上がっとるんだ。私は。

…そういえば、この男はなんでこんな阿保な大会に出ているんだ?こんなことしている暇があるならダオス様を倒しに……って行かせちゃいかんか。

ん。


ふと見ると、クレスは横にいなかった。


なんだ?トイレか?

いや……


デミテルは彼を見つけた。誰か男と話している。そして

人込みの方へ向かい出した。


…おい。ちょっと待て。あと三十分もないんだぞ。この祭の人込みに入ったら、三十分で戻れるかわからんぞ。

どこに行く気だ?不戦勝はさすがに私も気に食わんぞ。

……ちっ。しょうがない。


デミテルはめんどくさそうに、彼の背中を追い、人込みに入っていった。


………なんて私が奴を連れ戻す任をせねばならんのだ。ああイライラする。暑いしイライラするし。なんか出店で甘い物買おうかな。あ、6ガルドしか無いんだった。

――――――――――――――――――――――――――――。

「わたしは素晴らしい味の世界の料理人だっ!!」

「君にポワレの作り方を伝授しようっ!」
「リミィ、焼鳥の方が好きぃ。」
「はっはっは!ポワレも美味しいよお嬢さん!!」
「無駄なんだなオジサン。リミィは居酒屋メニューにしか基本興味無いんだな。」
「な………」

出店でポワレを作り販売していた、素晴らしい味の世界の料理人は、憤慨した。

「い、居酒屋のメニューに、この私のポワレが負けるというのか!?そんなことはない!お嬢さん!ちょっと食べてみなさい!わが自慢のポワレを!!」
「リミィお金持ってなぁい。」
「じゃあタダだ!」
「わぁい!!」

リミィは安価な紙皿に乗ったポワレを、モグモグと頬張った。

「いいかい?ポワレはビーフ、チーズ、ブレッドを使った料理。」

「上品に焼き上げた肉。そして上品な味………」
「うーん…」

リミィは目をつむり、よく噛み、味わうと、こう言った。

「タコワサビの方がおいしー。」
「タコワ…」


タコワサ?タコワサと比べるの?いや、おじさんもタコワサは好きだよ?おじさんも居酒屋行ったらとりあえず頼むけれども?え?なんでタコワサと比べるの?アレの美味さにポワレが勝てるわけ無いだろ!?

あ………


料理人は、己で居酒屋メニューに敗北を認めた。


「ちょっと小娘。道草食ってないで、とっとと広場の方行くわよ。アタシ達の生活を賭けた戦いがそこで行われるんだから。駄洒落で。」
「はぁい。じゃあねぇおじさぁん。おいしかったよぉ。」

「ポポロぉ。」
「………ポワレだよ。お嬢さん。それ何か別のゲームの………」

背中に影を落としながら、料理人はボソボソと言った。

「………ところで」

フトソンを先頭に、人込みをかきわけて進む中、ジャミルは


リミィの襟元から首をヒョッコリだして、言った。

「なんでアタシこんなとこ入れられてるのよ。」
「鳩時計みたいなんだな。」
「『鳩』じゃないわよ。『鸚哥』よ。」
「デミテル様がぁ、周りから見えないよーにしろ!だってぇ。」
「………まぁ理由はわかるけど。」


この姿は、クレスどもにも見られてるし………まぁ、インコなんてみんなおんな
じ顔してるんだからばれやしないとは思うけど…


「ジャミンコあったかぁい。」
「ええい!頬ずりするなぁ!気色悪いっ!!」

「ん。」


………あれ。今。

あの変なお面男が人込みにいたような…………いやでも……あと三十分しか……
……


―――――――――――――――――――――――――――。

「どうも助かりました。」
「いえいえ。気になさらず。」

一軒の出店の前で、クレスは笑顔で言った。両脇に木箱を抱えて。

「いやぁ。予想以上に売れ行きがよくて。食材が足らなくて買い出しいったら」
「一人じゃ持ち切れなかった。ですよね。」
「ホントすいません。あなたダジャレのアレ出る方なんでしょ?もう時間が…」
「大丈夫ですよ。急げば。」

………なんつーお人よしだ。アン〇ンマンかアイツ。


デミテルは仮面の下から、苦虫を潰したような顔をして、クレスを見ていた。そのデミテルも、道行く人にジロジロと見られていたが。


普通、見ず知らずの奴手伝うか?ああ。腹立つなぁ。なんだあの爽やかな笑顔。絵に描いたような主人公顔しおって。


しかし、本当に絵に描いたような主人公だな。

赤いバンダナ。白銀の鎧。赤いマント。剣士。優しい性格。困った人はほうって
おけない。そして適度に鈍い。なんて面白くない奴だ。

………相当心が捩り曲がってい無い限り、奴を嫌いになる奴など、いはしないだろう……つまり私だが…


…………なにか妙だな。

本当に………あんな………絵に描いたような男………

存在するものなのか?

「えええんっ!ママァ!」
「どうしたの?」
「ママが…ママが…」
「迷子か…」

ん。何をやっているあの男。まさか…

「じゃあ、僕が一緒に捜してあげるよ。」
「…ホント?」
「うん。」

ちょっと待て!!いくらなんでも…


デミテルは自分の懐中時計を見た。もう二十分しかない。それなのに…

デミテルは我慢できなくなった。

「おい!そこの剣士!」
「え?はい。」
「はい。じゃないぞ。貴様はあと二十分で駄洒落大会に出ねばならんだろうが。迷子など放っておけ!」
「…えっと。」

クレスは戸惑った。さっきから民家の陰から感じていた視線の正体が、いきなり変なお面して出てきたのだから、クレスはおっかなびっくりだ。

そして、この声を、彼は聞いたことがあるような気がした。

「…あなた誰ですか。」
「誰かだと!?貴様私が誰なのか覚えてないのか!?私はデミテ………」

「………じゃない。デミーだ。」

デミテルはボソボソと言い直した。仮面のせいで、余計聞き取りづらい。

クレスは首を傾げた。

「デミー?お会いした事ありましたか?デミーさん?僕全然覚えて無いんですけど…」
「あ…いや…さっきまで横にいたという…………ええい!そんなことはどうでもいいんだよこの万年素面顔が!!」
「万年素面顔………」

『素面』の使い方が正しく無いのがクレスにはわかったが、あえて訂正しないことにした。多分、味の無い顔とでも言いたいのだろう。この謎の仮面は。

「貴様の対戦相手は私なんだよ!こんなとこで油売って不戦敗になったらどうするんだ!?なにより私が恥ずかしいだろうが!?一回戦で不戦勝って!!周りの視線が恥ずかしいだろうが!」
「いやでも…」
「交番に連れてけばいいだろ。」
「交番無いですよ。この村。」
「じゃあ迷子のお知らせだ。ほらアレ、海水浴場でよく迷子のお知らせですとかやってるだろ。アレやって貰え。」
「スピーカー無いですよこの世界。」
「なんで『へんせいき』なんてアイテムがあるのに『スピーカー』が無いんだよ!?どんだけアンバランスなんだこの世界は!?じゃあ直だ!直に叫んで貰え!」
「だったら、僕達が直接叫んで捜した方が早く無いですか?」
「ええいっ!ああ言えばこう言う!これだから近頃のガキは!!じゃあとっとと一緒に捜すぞ!!着いてこい!!」
「え?あ…はい。」

こうして二人は、迷子の母親を捜す為、共に歩き出したのだった。

「………………あれ。なんでこんなことになっとるんだ。」

ー――――――――。


「すいませーん。あの…」
「………悪いけど、今日は閉店だよ。もうポワレなんて作る気にならないんだよ。こんな料理、もうどーでもいいんだよ。所詮、タコワサビ以下なんだから。俺のポワレなんて。」
「え………あ~。」

どう声をかけたらいいのかわからず、アーチェは口ごもった。

「大体アレだよ。なんで俺こんな砂漠でポワレの作り方教えてんの?砂漠なんだからもっとこうさぁ、涼し気があるものにするべきなんだよ。なんでポワレなんて………」
「あ、あたしはポワレ好きだよおじさん。お父さんたまに作ってた。」
「どうせそのお父さんも居酒屋行ったらタコワサビ頼むんだよ。ポワレなんて忘れて頼むんだよタコを。」
「あー…うちのお父さんはイカの塩辛が好きだったかな。」
「また軟体動物かよぉおおっ!!?いい加減にしろ!!どいつもこいつもニュルニョロニュルニョロしたもんばっか食いやがって!!火を通せ火をぉぉ!!」
「ご、ごめんなさ~い!」

おっかなびっくりしながら、アーチェはクラース達の元へ戻っていった。


―――――。

「…………それで、そのクラースさんが財布を無くしちゃいまして。」

「売れるアイテムもろくにない。そーいうわけで僕はこんな大会に出ることになったんです。困っちゃいますよ。」
「ああ…そうなの………」


なんで私が、クレス=アルベインと一緒に雑談しながら歩かねばならんのだ………

それというのもそこの迷子のガキ!貴様のせいだ貴様の!


「ところで、どうしてそんな仮面を…」
「大道芸人だからだ。」
「大道芸人だから?」
「大道芸人の八十%はみんな仮面してるんだよ。」
「へー。そうなんですか。」


信じるなあああ!!少しは疑え!この清純男が!鈍い!鈍っすぎる!!

ああ腹立つなまったく…………

大体この男は、ここまでの間に……


ここまでの間。約十分の間に、クレスは五人の人間を助けていた。


おばあさんの落とした財布を探し、

果物屋で散らばり落ちたりんごを拾い、

若い男二人の喧嘩の仲裁に入って、殴られ

犬に終われた子供を庇って、噛まれ

その子供が万引きしたスケベ本を知らずうちに持たされて、興奮した本屋の親父に殴られていた。

『僕は持たされただけです』と言えば済むことなのに、クレスは言わず、最後まで罪を被り通したのだ。

「…なんで。」
「はい?」
「なんでそんなお人よしなんだ?」
「…そう見えますか?」

クレスは、ポリポリと鼻をかくと、照れ笑いした。その清純な空気を醸し出す仕草に、デミテルのイライラステータスの数値がさらに上昇する。

デミテルはフンと鼻を鳴らした。

「貴様のような正直者がな、馬鹿を見る世の中なんだ。いつもいつもやることが日に当たるとは限らんのだ………なんで私は会って十分足らずの奴にこんな話を…」
「僕、昔っからこうなんです。こう…」


「いい人なんです。ずっと。」
「自分で言うか。」
「はは。そうですね。でも、ホントに自分でもわかってるんですよ。人がいいって。もう、自然にそうなってしまうというか……」

「だから…」

クレスの顔が、曇った。

「ホントは………」

「僕だって…」

「少しぐらい…………」


「………黒くなりたいんです。」
「なに?」
「小さい頃に。」

空気が変わった。クレスの醸し出す、清々しい、真っ直ぐな空気が。


「………下着泥棒をしたことがあります。」
「…………はい?」

いきなり、全世界のクレス=アルベインのファンが卒倒しそうな物凄い事を、クレスはさらっと言った。デミテルは目をパチクリさせながら、涼しい彼の顔を凝視した。

「十歳ぐらいだったかな。僕、協会のシスターに憧れてて。」
「初恋か?」
「いや、恋というより、」

「『シスター』というジャンルにものすごく興奮してたんです。」
「ジャンル………」


十歳で?シスターに興奮?おいおい待て待て待て。なんか色んなところから苦情の電話が殺到しそうなことカミングアウトし始めたぞ?


「あの頃、僕は学校が終わったら真っ先に教会に行っていた。」

「みんな、僕が信仰心で通い詰めていたって思ってたけど、信仰心とかそんなのは全然無くて」

「本当は下心丸出しで…」
「待て!?ちょっと待てぇ!?それ以上話すな!!これ以上そんなこと貴様の口から出たら本当に苦情が」
「最後まで言わせて下さいっ!!」

クレスは、物凄い剣幕で叫んだ。その声は、今までに聞いたことが無い程、荒々しく、粗野で

生きた声だった。

「………わかった。続けろ。」

デミテルは、最後まで聞くことにした。クレスは、ホッと胸を撫で下ろした。

「…すみません。大きい声出して」
「構わん。早く続けろ。」
「…ありがとうございます。」
「………変な奴だ。」

あの日、僕はいつものように教会に走った。夏だった。

息を切らして、教会の入り口に立つ。下着のシャツが、汗で蒸れていた。

………いつものように、扉に直進するはずだった。でも、何故かあの時僕は、

少しだけ魔が刺した。いや、そんな大層なものじゃないんだ。ただ、教会の建物の裏って、どうなってんだろ?見た事無いなぁ。そう思って、僕は何気なく裏に回った。

おっきな木が二本。鬱蒼と葉をつけて根を生やしていた。その二本の太い木の枝に、

長い長い、物干し竿がかかってた。服をたくさんぶら下げて。

風が吹くと、葉が擦れる音がするんだけど、それがなんだか、風で揺れる服から鳴ってるみたいで。妙な爽快感を感じた。なんでだろ?

しばらく見入ってた。そして、ふと足元を見たんだ。

黒いブラジャーだった。竿から落ちたんだろう。

僕はあの時何を考えていたんだろう。いや、何も考えてなんてなかった。発作的に、僕はそれをカバンに突っ込み、

何気ない顔で教会に入った。そして何気ない顔を保ったまま、祈るフリをして、思考回路をフル回転させていた。


これは泥棒じゃないか。僕は何やってるんだ?なんで僕が下着泥棒なんてしてるんだ?アレ?

……でも、なんだろ。この、奇妙な達成感。なんなんだこの

『悪いことやったぜ』みたいな感覚は。


悪さなんて、滅多にやったことなかった。小さい頃から家にはいつも、道場の練習生の年上の子供がいて、その人達が悪戯や悪さをして叱られるのを横目に見てた。そして学習していった。

これをやったら叱られる。やらないようにしようって。

悪さなんてしない、いい子。それが僕だった。

あの時、僕は有頂天になっていった。僕は悪いことをした。僕だって、こんなことできるんだ。

例え、これで叱られたって………そもそも、僕は今まで親に怒られたことなんてあったか?他の家の子みたいに、父親にゲンコツを喰らったことがあったか?いや、無い。多分、ただの一度も。

もうすぐ、僕は怒られるんだ。初めて母さんに説教とかされるんだろうな。そりゃそうさ。だって下着泥棒だもん。

……僕、おかしいな。これから叱られるっていうのに、その瞬間を、ワクワクして待ってるなんて………………

でも……やっぱり、楽しみだな……どんな顔するかなぁ……みんなぁ………


でも、その気持ち悪い期待は空回りだった。下着が盗まれたって話は、あの小さい村じゃすぐに広まったし、平日の昼間からそんなことできるのは、子供じゃないかって、そういう話にはなったけど

誰も、僕を疑おうとはしなかった。学校が終わったら真っ先に教会に走っていた僕が、どういうわけかまったく。普通に考えれば、容疑者の候補に上がるはずじゃないか?

僕は、疑わしい子供に話を聞いて回っていた、若い男の先生に尋ねた。先生、なんで僕には何もきかないんですか?

すると、先生は、こう言った。


『君がするわけがないだろ。』


死にたくなった。僕は誰よりも信頼されている。その事がこの言葉からわかったけど、そんなことは僕にはどうでもいい。

僕は、自分が悪いことなんて出来やしないって思われている。それがものすごく嫌だった。


僕だって


僕だって悪い事をするんだよ!!したいと思うんだよ!僕はみんながおもっている程キレイなんかじゃない!!

下心だってあるし、卑しいことも考える!僕だってみんなと一緒だッ!!みんなみたいに…

………その時も、今も、これからも、僕への第三者からの感想は、ずっと変わらない。


真面目で、優しく、純粋で、一枚の白布のように綺麗な、純白の、人間の理想を描いた素晴らしい青年。人の鏡………

…………そんなのじゃなくて、良い。

みんなと一緒で、よかったんだ。

そんな大層な奴じゃなくていい。人の鏡なんかじゃなくていいから。こんな、キレイな心でなくていいから

そんな、世界中探してもそう見つかりもしない、真っ白な布じゃなくていいから

灰色の、どこにでもいる適度に汚れた布として、僕は………

僕は………

デミテルは黙って、聞いていた。特別何か言うわけでもなく、特別表情を変えるわけでもなく、ただ黙って聞いていた。

クレスは、まるで体から毒を抜いてもらったように、フウと、溜め息をついた。

「今まで、こんなこと誰かに話そうなんて思わなかったんですけど」

「なんででしょう。あなたの顔が見えなくて、なおかつこの先会うこともなさそうだったからかな?」

「ってあれ?」

ふと、クレスは気付いた。さっきまで二人の間を歩いていた迷子の女の子が、消えている。

クレスは、自分達が歩く人込みを凝視した。たくさんの人が自分の視界に入っていく中で、

見つけた。民家と薬屋の間の路地に、スルリと入っていく。

「お母さんいたのかな?」

そう言って、クレスは小走りで路地に入った。


ひどいなぁ。せめてありがとうの一つぐらい言ってくれても…


「動くな。」
「え?」

クレスの首筋に、ヒヤリとした金属が触れた。

ターバンをした男が六人、短刀片手にクレスを囲んでいた。一人の男の背後から

さっきまで泣いていた迷子が、ニヤニヤとこっちを見ていた。

「持ってる物ぜーんぶ置いてけ。その鎧も、剣も。」
「まったく、俺達もいい商売思い付いたもんだよな。ガキ一人餌にするなんざ。」
「祭だからなぁ。迷子なんてその辺にいるからな。まさか物盗りの刺客とは思わねぇだろーよ。おらガキ、小遣いだ。」

子供は、男の毛深い手から小銭を受け取ると、さっさと路地の外に出て行った。

クレスはしばらく無言だった。が、やがて、フッと笑った。


『貴様のような正直者がな、馬鹿を見る世の中なんだ。いつもいつもやることが日に当たるとは限らんのだ………』


…あなたの言う通りだったみたいだ。

相手は六人。すぐに倒せるか?もう時間が無いぞ。五分も無いかもしれない。

そうなると、外の大道芸人さん、走って戻ってるかな今頃。あの人も生活費目当てで出てるとか言ってたし……

ここで、自分の事を置いといて助けに入るような馬鹿な奴は

せいぜい、世界で僕くらい…


「さっき貴様が言った事をずっと考えていたんだがな。」


クレスの首に触れていた金属の感触が、フッと離れた。途端、背後にいた男はバッタリと倒れた。

「要約すると、貴様はマジメな自分がキライな訳だ。また、周りにもそう思われているのがイヤな訳だ。」

「僕だって、色々やましいこと考えてるんだよ。と、周りに思われたいわけだ。しかし、実際は自分が自然にやっている事は、清い事ばかり。だからもどかしい。めんどくさい思考をする奴だな。」

「贅沢を言うなこの馬鹿が。」

悪趣味な仮面をしたその男は、片手に鞭を持ち、ズンズンとこちらに歩み寄ってきた。

男は、イライラとした口調で続ける。

「私はなぁ、貴様程清廉な奴に生まれてこの方会った事が無い。ホントに、イラつく程美しい男よ。貴様のその妙な悩みも、持っている奴など、そうはおらん。」

「ならば、ここで貴様の悩みに結論を出したやろうか?」

「貴様は贅沢だっ!」

鞭が空を切った。二人目のターバン男の顔面に、痛そうな音を起てて、鞭はまた戻った。ターバン男は顔を押さえて転げるように倒れた。

クレスは男の目を、仮面の穴越しに見た。

「白い布でいられることを誇りに思え。」

「みんなと同じグレーがいい?たわけ。みんなは貴様のように白くなることを望んでいるわ。もう一度言うぞ。」

「真っ白な自分を誇りに思え。」


『クレス、お前は優し過ぎる。』

『作り笑顔も、結局は誰かを不快にさせたくないという、思いやりからやっているんだろう。父さん的には、もう少し自分の腹を割って、生きて欲しいとも思うが』

『誇りにも思って欲しいな。その、優し過ぎる自分を。なんだか矛盾してるなぁ。父さんが言ってること………』
『さっきは「いい人にも、悪い人にも、好きな人にも、嫌いな人にも、全ての人に、いつも笑顔で、優しくいて欲しい」って言ったじゃないか。』
『だな。矛盾してるな。私はお前にどうあって欲しいんだろうか……』

『また、考えておこう。クレス。』


父さんはその一月後に、死んだ。

――――――――。


「…間に合わなかったね。」
「だな…コイツら、予想以上に粘りおって。」

二人は、路地にいた。サラサラとした砂の上に座り込んで。

両脇には、二人が撃退した六人の男達が伸びている。

二人とも、なんだかやけに疲れているようだった。

「どーしたものか………あの非常食にまたピーピー言われるなぁ。」
「僕はクラースさんに色々言われる。財布無くしたのあの人なのに。」

「………僕、もう考えないことにするよ。」
「何をだ。」
「自分が周りと違うとか、周りと同じようでいたい云々。なんだか、考えてたら疲れちゃったよ。」

「あなたの言う通り、誇りに思うことにするよ。自分が善人であることに。」
「…そうか。」


…なにやってるんだ。私は。


「…駄洒落大会やるか?二人だけで?」
「…いいね。」

なんでコイツとこんなため口で会話をしている?なんでこんな仲良くなっている?そもそもなんでさっき私は助けに入った…ああ。そうか。

なんだか…安心したんだ。こいつの本音を聞いて。この、絵に描いた、デフォルトされたような主人公も

悩むことを知っていることに。


……復讐はまた今度にしてやる。感謝するがいい。


「マウンドで何してるんですか?まぁ!運動ですか!」
「マルスさーん。いませんかー?まぁ留守?」
「木が動いてるって?気のせいじゃないか?」
「元旦のガンタンクは………」


クレスはなんだか嬉しかった。こんな風に、完全な自然体でいるのは、いつぞやぶりだろう。

一時間、駄洒落を言い合った二人は、やがて眠りについた。

まるで、昔から知り合っていた友人のように。警戒心も、なにもなく。


つづく

思うがままにあとがき

あけましておめでとうございます。

dying manさん
第一訓までこんな長いの読んでくれてありがとです。

灰色さん
あとがき好きですか。ありがとうございます。
心の中で爆笑してくれたようなので、次は心の外でも爆笑できるように頑張ろうと思います。

tauyukiseさん
アドバイスありがとうございました。がんばります。早くパソコン届くといいですね。ちなみにうちのパソコンは家族共同です。

『クレスアルベイン 性格』と検索すると、たいてい、『思いやりがある優しい性格』と出ます。

まさに絵に描いたような、クセの無い主人公。それがクレスだってことはよく知ってたんですが、なんか逆に疑問が湧いてきまして。
この男も思春期ど真ん中の17歳なんだから、いろんなことを悩んでるんじゃないか?あんなことこんなこと考えてるんじゃないか?そんなこと考えてたらこんなこと書いてました。気に食わなかったら、ごめんなさい。

…次回予告が何の意味もなさなくなってまいりました…

次回予告 「未定」

コメント

いつも、楽しみにしてます!
脳内メーカーで「クレス」と調べてみました。
脳内全部、悪でした(笑)

初めてコメントします!
脳内メーカーで「クレス」と調べてみました。
脳内全部、悪でした(笑)

やっちゃいましたね、クレスに下着泥棒をさせるなんて(笑)
でも私はいいと思います。
読んでいてすごい面白かったです。
たしかに主人公としてはふさわしくないかもしれませんが、どこかしら黒い部分があってこそ本当の人間なんですね。
そのことを今回読んで感じました。
次回作楽しみにしてます。

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