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デミテルは今日もダメだった【72】

第七十二復讐教訓「友達の事って、思ってる以上に意外と知らない」


「アーガス・A・マッキンタイアが何か変?」

 ハーメルの街に、教会の鐘が響く。十四才のデミテルは、教会の中から次々と出てくる少年少女達の中から、茶色い髪の少女を見つけ出した。ハーメルの子供達は、週に三回は教会に行って、そこで神に関する事と、そして勉学を牧師から教わるのが慣わしだった。そのための教室が教会内に作られている。近いうちに、ベネツィアのような大きい街にある、学校を建てるべきではないかという話もある。

 教会が勉強を教えるのはこの街がまだ小さい街であった頃からの慣例であり、ここまでこの街が大きくなった以上、次の段階へと進むべきじゃないかと、皆は常々思っていた。しかし、非常に信仰深いこの街では、教会の存在は強いものであり、建てるならば教会も関われるような作りにして欲しいとも願っていた。

 デミテルは買い物の帰り道だった。手提げ袋に食料品を入れて帰る途中、そういえばそろそろ、お嬢様の教会での勉強が終わるなと思い立ち、距離的にもちょうど良かったので、教会の門の前で待つことにした。待つ最中、二人で連れ立って歩く、少し年上の女の子達が、デミテルに向かって手を振ってきた。二人とも赤毛、短めのツインテールで非常にかわいらしい。

 ハーフエルフの少年は手を振り返した。最近は、自分が結構モテるということに自覚が出来始めていて、ちょっと調子に乗っていた。試しに、爽やかに笑ってみた。女の子達は口元を手で隠しながらフフフと照れ笑いし、去っていった。デミテルはにやけた。その瞬間を、リア・スカーレットにがっちり見られた。

 リアはツンツンしながら、デミテルを置いて、先をたったか歩いていく。デミテルは恥ずかしさで真っ赤になりながら追いかけていった。並んで歩いてくれるようになるまで、思い付く限りの言い訳を連発するはめになった。その言い訳は結局、リアがツンツンしている理由の本質には全く届いてはいなかったが。彼女が怒っている理由は、自分の家の使用人がはたから見ていて、こっ恥ずかしいことをしていたからなんだと、そう思い込んでいたのだ。

「あのですねお嬢様。あの笑顔はいわば、女性への挨拶のマナーみたいなものじゃないかと私の中で思って、それで実行しまして……」
「ツーン」
「いや本当に、全然、下心的なものは全く無くて……」
「ツーンッ」
「さっきから口でツーンって言ってますよね!? ツンとした態度で口に出して言うものなんですか!?」

 そんなこんなの後で、リアはデミテルと並んで歩くことを許した。イラついた態度は抜けていなかったが。デミテルは何とかして話題を変えようと、教会の中での様子を訊ねる事にした。すると、リアは何かを思い出したようで、態度を改めると、こう言った。「アーガス君がね、なんだかおかしかったの」

「アーガス・A・マッキンタイアが何か変?」

 デミテルはその言葉を再び繰り返した。美しい川の間に掛かった石橋の上で、足を止め、顎に手を置いて考え込む。リアが、険しい顔をするデミテルの表情を下から覗き込んでいると、デミテルは怪訝な様子で口を開いた。

「アーガス・A・マッキンタイアって…………誰でしたっけ」
「えっ!?」

 リアは愕然とした。デミテルは真顔で言葉を続けた。

「そんな人このゲームにいましたっけ」
「い、いないけど! ここにはいるよ!? 道具屋『RAM』さんの、リチャード・A・マッキンタイアさんの家の子!」

 ジョークで言っているように見えないデミテルに対して不安になり、リアは頑張って解説した。デミテルは空を仰ぎ見て、再び考え込んだ。

「あ。思い出してきましたよ。確か、初登場時は『アーロス』って名前だったのに、いつの間にか『アーガス』になってた、あのアーガス・A・マッキンタイアですね!?」
「デミテルさん!!」

 怒りの篭った声がデミテルの耳に響いた。リアは両手を腰に当てて、眉を吊り上げている。

「デミテルさんのそういうところ、私嫌い! いつもは誰に対しても丁寧なのに、アーガス君にだけ辛辣だもの!」
「そ、そうですか?」

 そう言われるとアイツに気を使って喋ったのは、関わり出した最初の方だけだったな。しかし、それを指摘されて、これからあのストーカー坊主に丁寧に接するかというと、答えはNOだな。と、デミテルは思った。

「それで、アイツがどうおかしかったんですか。いや、元々頭おかしいでしょうけど」
「それ以上そういう事言ったら私、さっきのデミテルさんの笑顔の件、アーガス君に言っちゃうからね」
「すんません勘弁してください」

 デミテルは腰を90度に曲げて謝った。リアはちょっと笑って、やがて溜め息をつくと、橋の欄干に腕を乗せた。その瞳に、川を泳ぐ魚の姿が映る。

「話の続きだけど……アーガス君ね。私の隣に座ってるんだけど、なんだかずっと俯いてるのね。いつもは常にそわそわして、私の事を気に掛けてくれるんだけど。常にチラチラこっちを見てるし」

 いつものアーガスの方がよっぽど問題があるし、それを通常の状態であると認識しているリアもどうなんだと、デミテルは袋を持ち直しながら思ったが、怒られそうなので頑張って黙った。

「一番びっくりしたのはね。私が羽ペンを落とした時。いつもだったら凄い速さで、汗だくになってハアハアしながら拾って渡してくれるのに。アーガス君、落ちたことにすら気付いてなかった。なんだろう、なんだか後ろの方を気にしてたような」
「お嬢様の席は、前から何番なんですか」
「ちょうど真ん中。だから、後ろの席の誰かを気にしてたのかな……?」

 デミテルは指で頬を掻いた。確かに、あのリアお嬢様大好き生命体が、隣に座るお嬢様以外のものに関心を持つのはおかしい。デミテルはアーガスと最後に会った日を思い出していた。ミッドガルズから、ランブレイとリアと自分が帰ってきた日。二週間前だ。土産を渡したが、その時は普通だった。普通というのは、リアが買ってきた土産の御菓子を、リアから直接手渡しされて、家宝にして永遠に受け継ぎますとか、わけのわからないことを言うぐらいの普通さだ。

「鐘が鳴った途端、牧師様にも私にも挨拶せずに帰っちゃった」
「ということは、僕が扉に背を向けてお嬢様を待っていた時、その後ろを通ったのか……? あいつ、僕にすら声をかけなかったのか……そんなこと……」
「あっ! もしかして!」

 リアが何か閃いたらしかった。口に手を当て、おろおろしている。
「何か思い当たる節でも?」
「もしかしたらアーガスくん……アーガスくんは」

 リアは握り拳でガッツポーズを取った。かわいらしい目をキラキラさせて。何かを確信したらしかった。

「アーガスくんは! 好きな子が出来たのかも!」

 すいません。とっくの昔に出来てます。使用人はそう教えてやりたかったが、ぐっと我慢して言葉を飲み込んだ。リアは両手の指を胸の前に組むと、空を見上げて、ドキドキとワクワクに満ち満ちた笑みを浮かべた。デミテルは知っていた。彼女はそういう話が実は大好きだった。

「きっと、後ろに座ってる誰かを好きになったんだわ! だから私の事なんて気にもならなくなっちゃったんだ! きっと、そう! 間違いない!」
「そうですかね。アイツがその……リアお嬢様より気になる女の子を……」
「デミテルさん! 恋をしたらね、人は他の異性なんてちっとも目に入らなくなっちゃうの! そういうものなの! 私、知ってるもの!」
「どこで知ったんですか」
「本に書いてあった!」
「へー。本てスゴイッスねー」

 感情の無い棒読み言葉で感心しながら、デミテルは改めてアーガスについて考えた。後ろの誰かを気にしていたのは本当だろう。でも、誰をどんな理由で? 恋は百パーセント無いから可能性としてぶん投げて考えよう……。

 結局、屋敷に帰るまでの間に、デミテルには思い当たるものは浮かばなかった。リアは帰路の間、恋愛小説から学んだであろう『恋』や『愛』について延々と語り続けていた。デミテルは思考を妨げられ、段々鬱陶しくなってきたので、意地悪で、試しにこう言ってみた。「それで、お嬢様は誰かを好きになった事は? それだけ語れるならばきっと経験だってありますよね」

 リアは、バジリスクに睨まれたようにピタリと動かなくなった。次に顔が紅潮して、汗をかきまくり、最終的に頭の中で何かが爆発したのを、デミテルは視覚的に確認出来た。そこから家に帰るまで、彼女は一言も喋らなかった。こういう話は以前も彼女と、幾度かしたような気がするが、結局、成長したり変化したりした所は無いらしかった。

 庭の手入れを終えて、洗濯物を回収し、クローゼットやチェストに仕舞い込む。一通りの仕事を完了させると、デミテルは屋敷の窓から街の方を眺めた。道具屋の看板が、ここから小さく見えた。頭をボリボリと掻く。しばらくして、デミテルはネリーの元に向かった。「奥様、確か糸と布で無くなりそうなのあるんでしたよね。さっきの買い物の時に思い出せればよかったんですけれど。仕事早く済んだんで、買って参りましょうか」

 道具屋の主人、リチャード・A・マッキンタイアという男は、たくましい男だった。身長は二メートル近くあり、筋肉質でたくましい。黒髪をオールバックにして、脂ぎっている。目が非常に大きく、話す相手をギョロギョロと見てくるので、威圧感を与えた。
 対して奥さんは優女で、藍色の髪を後ろで縛り、非常に細身だった。リチャードが腰に手を当てると、腰が折れてしまいそうにさえ見える。

「おう! デミテル君いらっしゃい!」
「リチャードさんこんにちわ」

 店の中に入るとパツンパツンの服を来た男が、でかい声でデミテルに挨拶した。デミテルは、なんでこの人はいつも体にぴったりの服しか着ないのだろうと、ずっと疑問に思っているが、訊ねたことはない。入り用の物を店内から選び、カウンターに持っていった。

「いつもご贔屓ありがとうね!」
「いえいえ。あー、そういえば、アーガス君は……」
「んー? まだ帰ってないよな母さん? 母さーん? かあさあああ」
「そんな大きな声出さなくても聞こえてますよぉ」

 奥さんは店の隅で商品の補充をしつつ、慣れた様子で答えた。なんでこの男は隙あらばでかい声を出したがるのかデミテルはいつも疑問だったが、訊ねたことはない。リチャードはガッハッハッと笑いながら、デミテルからガルドを受け取った。

「最近はずっと帰りが遅くてなー。てっきりまたスカーレットさんちに通ってるんかと思ってたんだー。なあ母さん。そういう話を昨日したよな母さん。かあさあああ」
「だから聞こえてますよお」
「変ですね。うちにはここ二週間来てないですよ」

 過去に何度か、リアに勉強を教えてもらう、という口実でしょっちゅう屋敷に来ていたこともある。しかし、自分達がミッドガルズから帰ってからはそんなことは無かった。

「そういえば、最近はどこに行ってきたかとかは、家でも言わないわね。リアちゃん家に行ったら、リアちゃんがいかに素晴らしい女の子か食事中ずっと語ってるのにねえ」
「リアちゃんが今日はどういう匂いしたかまで、いつも正確に語るもんなー! いやー! 面白い奴だよアイツはー!」
「いや。使用人といたしましては、全然面白くないんですけども」

 家でも外でもリア好きは変わらないらしい。出来れば家庭で注意して欲しかったが、この二人は全然問題無いと思っているようだった。デミテルはお釣りを受け取ると、商品を手提げ袋に入れていく。その作業中、少し考えると、意を決してリチャードに訊ねてみた。

「何か、悩んでる様子とかありませんでしたか」
「悩んでる?」
「何かこう、人間関係とか……」

 リチャードは腕を組んで、しばらく考え込んだ。こんなことを聞いて良かっただろうか。不安にさせてしまったかも知れないと、デミテルは心配になった。やがて、リチャードは腕組みを崩すと、こう言った。

「全然わかんねーなー! ガッハッハ!」

 心配しただけ精神の無駄な疲労だったとデミテルは悟った。なんだか、やっぱり取り越し苦労だったのかもしれない。買った物を全て袋に入れ終わった時そう思った。少なくとも、この二人の親には思い当たる節は無いようだし。単純に鈍くて気付いてない可能性も高いけれど。

「うん。ごめんなさい。どうやらお嬢様の取り越し苦労だったみたいです。すいません変なこと聞いて。それじゃ」
「待って」

 出口に歩き始めた時、奥さんがデミテルを引き留めた。人差し指を顎に当てて、少し思い詰めていた。

「リアちゃんが、アーガスに変な所があるって、言ったの?」
「あー、はい。でも、家の方では問題無さそうですし……」
「そうとは限らないかも」

 奥さんが出し抜けに言った。デミテルは首を傾げる。リチャードの表情が、先程までより僅かに固くなった。

「あの子は、うん。あの子は結構、私達に思っていることを隠すのが、うまいから。ねえあなた」
「そうだなー。最近はそんなこと無いと思ってたけどなー。アイツがうちに来てから最初の頃はそうだったけどなー」
「え?」

 デミテルはきょとんとして、夫婦の顔を交互に見た。夫婦もまた、意外そうな顔をデミテルに向けていた。

「アーガスは……、アーガス君の親は、おじさん達じゃ……」
「こいつは驚いた! あいつ、デミテル君に言ってなかったか!」

 リチャードはあちゃーとした顔で、自分の額を叩いた。デミテルから受け取った金は、未だに仕舞われずにカウンターに置かれたままだ。武骨な人差し指で、鼻先を掻く。

「俺はてっきり、一番の親友のデミテル君にゃ、もう言ってると思ってた。ってことはあれか。スカーレットさんちは誰も知らないのかな」
「いや、僕いつからあいつの親友になっちゃったんですか」
「アーガスがそう言ってたけど」

 何勝手に人の親友になってんだとデミテルは頬を引き吊らせて笑ったが、とりあえずそれは置いておこう。リチャードは変な表情で固まるデミテルの事は微塵も気にせず続ける。

「アーガスはうちの嫁さんの妹の子なんだ。アルヴアニスタ方面の街に住んでたが、あの子が五才の時にうちで引き取った」
「どうして?」
「それは三才の時に父親が」

 ここで、リチャードは言葉を濁らせた。目線を奥さんに向ける。奥さんは毅然とした顔でしばらく旦那と視線を合わせていたが、やがてかぶりを振った。リチャードは天井を見上げると、溜め息をついた。そして、困惑するデミテルに改めて向き直った。

「デミテル君。この話はつらい話だ。少なくとも、アーガス本人がそう思ってる。だからこそ何年も付き合いのある君にだって話さなかった。この話は、アーガス本人が決めて、するべきことだと私は思う。私が話せる事は……うん。アーガスがうちに来たとき、あの子は表向き楽しそうに振る舞った。おじさんおばさん、僕を引き取ってくれてありがとうってね。私達も安心した」
「けれどね」

 奥さんが言葉を繋いだ。

「私達に隠れて、あの子は泣いていたの。あの子は私達に心配させないように振る舞うのが上手な子だった。いや、もしも私達が本当の親だったなら、きちんと気付けたのかもしれないけれど。今も、もしかしたら私達に心配かけさせまいと誤魔化してるかもしれないわ。けど、家の外でまでは気が回らなくて、リアちゃんが気付いた、のかも知れない」

 奥さんは、デミテルに歩み寄るとその手を握った。細い手だ。しかし、握りしめてくる指から力強さを感じ取れた。

「お願いデミテル君。あの子から話、聞いてもらえないかしら。親代わりの筈の私達がこんなこと言って、残念だけれど。リアちゃんは賢い子だから、勘違いではないと思う。けど私達が探っても、あの子はきっと何事も無いようにふるまう。心配掛けたくないから」
「あの。そんな大事な事を僕なんかに……」
「貴方が、あの子をリアちゃんのお見舞いに連れ出した事、覚えてる?」

 そんなこともあった。もじもじするあいつをぶん殴って奮起させた。リアに、より人付き合いして欲しいという想いと、単純に面白がってやったことだ。もう、何年前の事だっただろうか。

「帰ってきてから、あの子はずっと興奮してスカーレットさんちの事を話し込んできたわ。あんなに楽しそうなのは、うちに来てから初めてだった」
「まあ、好きな子の家に行って話が出来たらそりゃ……」
「貴方の話も、いっぱいしたのよ。あの子。リアちゃんの事と同じくらいに」
「え……」

 リアと同じくらい。それがどれ程の事か、デミテルは知っていた。奥さんは微笑んだ。

「貴方に色々話せるのは、貴方にあの子のことを任せたいと思うのは、貴方があの子の一番の友達だって知っているからなの……デミテル君。あの子の事、お願いしていいかしら」

 デミテルは袋を掲げた手で頭を掻いた。なんとも言えない気持ちだった。むずむずと恥ずかしいし、自分は本当にあんな奴の友達なのかという疑問や、自分は果たしてこんなことを任せられるほど、人間が出来ているのかという不安など、ぐちゃぐちゃだった。やがて、握られた手を見つめて、次に俯いていた顔をあげ、夫婦二人の顔を見比べる。この夫婦は一見不揃いに見えるけれど、街では仲良し夫婦として有名だ。けれど、そんな夫婦に実の子はいない。作らなかったのか、それとも、作れなかったのか。デミテルは決断した。

「まぁ、うん。親に言えなくても、友達には言える事ってありますからね。出来る限り聞いておきますよ」
「おー。ありがとなデミテル君! 俺ぁ実は、てっきり友達なんて言ってるのはアーガスが一方的にそう言ってるだけで、デミテル君はちっとも思ってないんじゃないかと不安だったんだー!」
「ソンナコト、ナイデスヨ、ハッハッハッ」

 硬直した笑顔で、デミテルは答えた。背中に物凄い量の汗をかいていた。夫婦は気付かずに、優しい表情をデミテルに向けていた。


 ああ。なんでこんなことになった。
 店の外に出て、扉を閉めると、デミテルは嘆息をもらした。気まぐれで首を突っ込んだら、凄く重たい物を背負わされてしまった。こんなことを本当に、僕に任していいのか。何故任しちゃうのか。子供の一番の友達だから? つーか僕ってあいつの友達なの? ああああ全部あいつのせいだ。見つけ次第、理不尽にヘッドバットをかましてやる。

 デミテルは屋敷に向かって歩き出したが、キョロキョロと周囲を探るように動いていた。アーガスは一体どこにいるのだろう。何故まだ帰らないのだろう。他の友達といるのか。いや、そもそも、アーガスは僕以外に自称友達っているのか。そういえばそうだ。アイツが他の子供と遊んでいるのを見たことがない。仲間外れにされているかといえば、そんなことはない。ただ、今思い返すとアイツは、常に周囲に一定の距離感を出していた気がする。あくまで知り合い程度の人間関係だけで……などと考えていたその時、背中に誰かが激突した。

 デミテルは顔を地面に叩き付けた。怒鳴り付けようと、鼻頭を押さえながら振り返る。アーガス・A・マッキンタイアが、そこにいた。酷く怯えた表情だった。フード付きのマントを羽織っていて、顔を目元まで隠している。懐から、リンゴが一つこぼれ落ちた。その時、初老の男のしゃがれ声が響いた。

「泥棒だ! 捕まえてくれ!」

 尻餅をついていたアーガスは弾けるように立ち上がった。デミテルの、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を、怯えた目で見つめ、振り切るようにその場から逃げ出した。

 アーガスは街の外れの川沿いに辿り着くと、足の動きを緩めた。年季の入った水車小屋があった。街の方からは見えなくなるように、小屋の裏側に隠れる。荒くなった息を整えつつ、小屋の壁にもたれかかった。そして、かすれた声で独り言を言った。

「逃げ切った……」
「誰からだ」
「誰って、食材屋のじいさんと、あと、デミ兄ちゃん……」
「私、デミ兄ちゃん。今、貴方の後ろに、じゃなく、横にいるよ」

 アーガスはすっとんきょうな悲鳴を上げて、その場にひっくり返った。土の上に手をつくアーガスを見下ろすデミテルは、少しだけ息を切らしていたが、まだまだ余裕がありそうだった。

「走るのはわりと得意なんだ。言ったことなかったか」
「心臓に悪いよ! 爆発するかと思ったよ!」
「悪いのはお前の頭だろ」

 デミテルはしゃがみこむと、アーガスの顔を横から覗き混むように睨んだ。黒髪の、少し切れ目の十一才の少年は思わず目を背ける。デミテルは青い髪の中の、一房の赤い髪が瞳の前に垂れてきたので、横に撫で付けた。そのあと、アーガスに軽く頭突きをくれてやった。予定していたより優しい頭突きになった。

「まさかお前が窃盗なんざするとはな」

 アーガスは座り込んで、自分の膝を見つめたまま、何も言わない。しばらくして、小さく言った。

「デミ兄ちゃんだって昔、食い逃げしたことあるって言ってたじゃん」
「ああしたとも。しないと飢え死にしそうだったからな。これを理由に神様に地獄に落とされても文句は言わないつもりさ。けど、お前は別に盗まなくても飢え死になんてしないだろ。お前の……お前の『お母さん』、料理超美味いだろ。去年うちに持ってきてくれた自家製チョコレートケーキ、まじで神だったわ。お前にはもったいないわ」

 その味を思い出しただけで口の中で大量のよだれが分泌されたが、デミテルは急いで飲み込み、次の言葉を続けた。

「こんなことやったらあの夫婦二人が悲しむ事も解らないくらいの真性のバカだったのか。お前」
「デミ兄ちゃんには関係ないだろ」

 デミテルは、アーガスのこんな突き放すような言葉を今まで聞いたことが無かった。瞳は冷たく、感情を感じられなかった。懐からまたリンゴが転がり出て、音を立てて落ちた。多分、まだ二、三個詰め込んでいて、無理に押し込んでいるのだろう。デミテルはそれを拾い上げる。

「お前……確かあんましリンゴ好きじゃないって言ってたよな。アップルジュースよりオレンジジュース派とか言ってたよな。お嬢様がアップルジュースの方が好きって言ったら、その場でがぶ飲みして、吐きそうになってたよな」
「その時にアップルのよさに目覚めたんだよ」
「あんな真っ青な顔しておいて目覚めたってお前、一体何に目覚めたんだ」

 風が吹いて、川の水が波立った。デミテルは立ち上がり、アーガスに背を向けて、川を眺めた。

「悪いが、お前の事は結構知ってるんだよ。隠そうとしても無駄な抵抗だ。お前は確かにバカだけど」

 ひょいとリンゴを空に投げる。落ちてきた赤いそれを、きれいにキャッチする。

「お前は理由もなく盗みをする奴じゃない」
「デミ兄ちゃんが僕の事をどれだけ知ってるっていうんだよ」

 アーガスはスッと立ち上がり、仁王立ちでデミテルの背中を睨み付けた。

「盗みたいから盗んだんだ。悪いかよ。そんな理由で悪いことする奴、世の中ごまんといるじゃないか」
「ごまんといるが、その中にお前は絶対入ってない。なんでやったか、理由、言ってみろ」
「無いよ」「ある」「無いったら!」「言わないとリアお嬢様にチクるぞ」

 数秒間の沈黙があった。次にデミテルが背中越しに聞いた言葉は、デミテルにとって耳を疑う言葉だった。

「ぼ、僕がリアちゃんを出されたら何でも言うこと聞くと思ってんじゃないやい! 言いたきゃ言えばいいだろ! このわからずや! 阿呆! 馬鹿!」

 デミテルは驚いた顔で振り向いた。アーガスは拳を握り締め、震えながら、こちらを怒りに満ちた目で睨んでいた。目に涙が溜まっていた。

「お前……」
「カス! クソ!」
「本当に一体……」
「ボケ! うんこ!」
「なにがあったん……」
「すっとこどっこい! パープリン! ハゲ! 将来、序盤と中盤の間ですぐやられるボスになりそうな顔!」
「つーかさっきから言わせておけば好き放題言いやがってぶっ飛ばすぞこの野郎ぉ!?」

 デミテルはぶちギレて、リンゴをアーガスの足元に叩き付けた。ズンズンと前進し、アーガスの目前に胸を張って立ちはだかり、相手を見下ろしながらガンを垂れた。アーガスも負けじと、見上げながらガンを返した。両者の顔は異常に近くなった。

「すぐやられるボスになりそうな顔って一体どういう脅し文句だ!? この地味顔が!!」
「黙れ変な髪!!」
「地味な髪!! 特徴ほぼゼロ!! ストーカー!!」
「かっこつけ!! キザ!! 甘党バカ!! 去年のパーティーの時一人でどんだけケーキ食ってんだよ!!」
「お前の母ちゃんのケーキが神掛かってたんだからしゃーないだろうが!! 本当はあと二つは食えたわ!! お前なんてお嬢様が使ったフォーク舐めようとしただろうが! 気色悪いんだよ!!」
「リアちゃんのフォークが神掛かってたんだから仕方ないだろ!! 本当は舐めるどころか食べる事だって出来たさ!!」
「偉そうに言うな! つーかアレだわ!! 過去にお嬢様の靴下とか狙ってた時点でお前元々泥棒じゃねえか!!」
「全部デミ兄ちゃんに阻まれて成功したことないだろうが!! 全部未遂だろうが!」

 ここで二人は酸素が足りなくなり、呼吸困難に陥ったので、互いに深呼吸をしあった。呼吸を立て直して、さらに罵り合いは続いた。

「大体この前デミ兄ちゃんが買ってくれたお土産何あれ!? 何でリバースドール!? 貴重な品だけどもお土産に選ぶ品じゃないよね!?」
「あれは向こうの孤児院で会った心配性の女の子がくれたやつの余りもんだよ!! 誰がお前なんぞの為に金使って土産買うか!!」
「このケチ!! ケチンボ!! ケチケチ大魔王!!」
「黙れ! 恥ずかしい詩書いてる癖に! 恥ずかしい絵描いてる癖に!」
「ハーピィのところで僕を身代わりにして逃げた癖に!! ビビり!! ビビり大魔王!!」
「俺より先にいい経験出来たんだからいいだろうがぁ!! エロガキ!! スケベ!! スケベ大魔王!!」
「食い逃げ犯っ! げほごほっ!」
「窃盗犯っ! げほごほっ!」

 二人とも同じタイミングで喉が渇き切ったらしく、互いに咳き込んだ。唾液を飲み込み、さらに相手に迫る。とにかく、攻撃出来れば悪口の内容は何でもよくなってきていた。

「いいから素直に何があったか言えっつってんだろこのオリキャラがぁ!?」
「自分だって八割オリキャラみたいなもんだろうが!?」
「お前に至っては十割だろうが!? そもそも道具屋『RAM』はSFC版とGBA版しかねーんだよ!! PS版とPSP版からゲーム始めた人にとってはお前なんて完全に意味不明な存在なんだよバーカバーカ!!」
「SFC版じゃ雑魚キャラの色違いだったくせに!! テイルズオールスター系作品に出る予定これからも一切無い癖にバーカバーカ!!」

 一時間後、水車小屋の前には、酷くやつれた顔で、今にも死にそうなくらい息を切らす二人の少年の姿があった。どちらも膝をついて、ちょっと泣いていた。相手の悪口がかなり胸に来るものばかりだったので、肉体の疲労より精神の疲労が辛かった。突然、アーガスがビクリとした。

「しまった! 今何時!?」
「四時半過ぎだな」

 ミッドガルズでリアに買って貰った懐中時計を片手に、デミテルが教えてやった。アーガスは顔を青くして立ち上がると、ボソリと呟いた。

「約束の時間過ぎちゃった……」
「やっぱり、誰かにやれって言われたんだな。お前」

 デミテルもよろよろと立ち上がった。いつの間にか踏みつけていたリンゴを、また拾い上げて、アーガスに突きつける。

「さらに当ててやろうか。やれって言ったのは、教会でお前の後ろに座ってる誰かなんだろ。一体どこのどいつ……」
「関係無いよ」

 デミテルはアーガスの顔を見た。また泣いていたが、さっきの涙とは違うものだった。悲しい目だった。もっと言いたいことがあるのに言えない、そんな目だった。

「デミ兄ちゃんには! 関係無いんだよ!!」

 そう叫んで、アーガスはその場から駆け出した。デミテルはその背中を追わず、ただ見つめていた。やがて、溜め息をつくと、一人、自分に言い聞かせるように言った。

「ホント、関係無いよなまったく……」

―――――――――――――――――――――――――――――――。

 突然、柱時計の規則正しい振り子の音が、コッチコッチと耳の中に聞こえて、デミテルは目を覚ました。使い古されたベッドの上で仰向けになっていた。見たことがある天井が視線の先にあった。

 時間は真夜中のようだった。建物はシンと静まり返っている。体を起こそうとしたが、全身が縄で縛られたように痛くて動かない。頑張って首だけでも動かし、周囲を確認した。左に見える部屋の窓は真っ暗だ。月は二つのうちの一つも出ていない。教会の鐘がある塔だけが見える。静かに右を見る。シスター姿の女性が、ベッドに突っ伏したまま寝ていた。手には包帯と、塗り薬の容器。デミテルは自分の体が、被っている布団で見えないものの、包帯だらけであろう事を直感した。

 急に眠気が襲ってきた。おそらく、この体は全く回復していないのだ。もっと寝て回復に努めろと脳が指示しているのだ……脳。デミテルは寝ぼけた頭で、なんとなしにあることを察した。自分が時たま見る、過去の夢について。私はクレスどもとの戦いの後、記憶が不安定になっている。ダオス様に会った事は覚えているのに、そのあと会ったというジャミルやジェストーナの事は思い出せないし、ハーメル時代の記憶も飛び飛びだ。このあとアーガスがどうなったかも、何かこう、霞みが掛かったように思い出せない。

 私の見ている過去の夢は、バラけた記憶を脳が整理しているから見るのだろう。多分、このまま夢を見続けていけば、ジャミル達に会った記憶も思い出すのだろう。記憶の中でアイツにペコペコしてたらどうしよう。超イヤだな。

 デミテルの目が半分程閉じた。これまたなんとなしに、このまま眠ればアーガスとの記憶の続きを見ることになるだろうなと、悟った。見たいような、見たくないような。ふとデミテルは、モリスンが自分の目の前で消えてしまったことを思い出した。石になった自分を救ってくれた男。共にドラゴンを止めようとしてくれた男。最後に彼は、味方になってくれるとありがたいと言った。言ってくれた……

 デミテルは自分の意思で瞼を閉じた。意識がまどろんでいく。彼は無性に、『友達の夢』を見たい衝動に駆られたのだ。

つづく


おもうがままにあとがき


らいさん
コメントありがとうございました。この小説のおかげでデミテルさんを好きになってくれたのは、嬉しい限りです。心理描写好きになってくれた、とは嬉しい……。本当に、あれだけの出番のキャラで何でこんな長く書けたのだろうか……自分でも謎だ……。

Anonymousさん
コメントありがとうございました!すっとファンだったとか、凄くうれしいです!


 今更ながら、ファンタジー世界小説においてメタネタは禁句だと重々承知しておりますが、まあでも、今更なんで突き抜けていこうと思います。また書き始めるにあたって、やめるかどうか悩んだけれども。これは「ファンタジー小説」じゃなく、「ゲーム小説」なんだと。コロコ○コミックの「スーパーマ○オくん」みたいなもんなんだと開き直っております。許せない人ごめんなさい。それでは、またお会いしましょう。次はいつになるかしら……

コメント

>コメントありがとうございました!すっとファンだったとか、凄くうれしいです!

「すっとファンだった」ってなんだ!?どんな間違いだ!?「ずっとファンだった」です!失礼しました

楽しく読ませていただきました。デミテルもリアもとても可愛らしいです。
メタネタもつい笑ってしまって、自分は好きです。そういえば確かに無かった気がしますね、『RAM』
また読めるのを楽しみにしています。これからも無理せず、頑張ってください

今回も楽しく読ませていただきました!更新お疲れ様です。
私もこの小説のメタネタ好きですよ。
恐らく一生公式で語られることのないデミテルさんの過去話、私の中では公式と化してきています。また続きを楽しみにしております。

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